○えっ、4歳でIQ159 ホーキング博士よりちょっと低いだけ
知能指数(IQ)が全人口の上位2%の人しか入会できない国際団体メンサは、英ウィンチェスターの4歳の女児がIQ159だったとして入会を認めた。
世界的に著名な英国の宇宙物理学者ホーキング博士より、わずか1ポイント低いだけだった。
「彼女が特別なことは早い段階で分かっていた」と女児の両親。生後すぐに何かを話そうと声を出し始め、1歳までに語彙が非常に豊富に。2歳で絵本のシリーズ全30巻をわずか1時間で読破したという。
○12歳の天才ピアニスト! 史上最年少デビューの少年は?
クラシック部門の日本人ピアニストとして史上最年少でCDデビューを果たし話題となっているのが写真の彼。5歳で上海テレビ局主催のピアノコンクールに出場し1位を獲得、「ショパン国際ピアノコンクール in ASIA」では5年連続各部門1位という偉業を成し遂げた、弱冠12歳である天才ピアニストの名前は?
彼の名前は牛田智大(うしだ・ともはる)、1999年10月16日に日本で生まれ、中国・上海で育った。
これまで入選してきたコンクールは数多い。3月2日には世界中から受講者が集う「第16回浜松国際ピアノアカデミー」でも史上最年少となる1位を獲得。クラッシック界では「未来の大器」と呼ばれるほど注目を集めており、3月14日にはクラシックの日本人ピアニストとしては史上最年少となるCDデビューも果たした。
生まれた頃から家に電子ピアノがあったため、幼少の頃からピアノに親しんできたという彼。ピアニストを目指した経緯については、3歳の頃に中国遼寧省瀋陽出身のピアニスト、ラン・ランのDVDを見た際憧れるようになったのが始まりだと言う。「僕が小さい頃、ラン・ランやユンデイ・リに憧れてピアノを始めたように、誰かにクラシックに対しての興味を抱かせられるような存在になれたらうれしい」と話す彼。輝かしい受賞歴ももちろんだが、その繊細な旋律は聴いている人の心を深く癒やす。今後、彼が世界的ピアニストとなれるか期待が高まる。
ワールドミュージックから発売したCD「愛の夢〜牛田智大デビュー」には、幼少期からなじんできたショパンやシューベルトなどの小品を収録。また、7月にはデビューリサイタルも控えている。
○世界3位となったアプリ開発灘高生 5歳で微積を解いていた
ステレオタイプのアメリカンドリームは何ですか?
今年の中学受験も激戦だ。難関校はもちろんのこと、進学実績を伸ばしている中堅校や、都立の中高一貫校にも人気が集まっている。それこそ血の滲むような努力、親子ともども周到な準備をした上での決戦となるのは巷間伝えられる通りだが、大手進学塾講師はこういうのだ。
「中学受験のトップ校を上位でパスするような子は、既に大学受験用の問題を解いていたりする。我々が見ていても鳥肌が立つような記憶力、理解力を持つ子はわずかながらいるものなんです」
灘中在学中から"天才"としてその名を世界に知らしめる、現在灘高1年生のTehu君(ハンドルネーム=ネット上の別名)もそんなひとりだろう。灘中2年だった09年、わずか3時間で『健康計算機』というiPhoneの無料アプリを開発。同年10月に公開されるや、11月には総合部門でダウンロード数世界3位を記録した。
このTehu君にどんな子供だったのかを尋ねてみた。iPhoneから返ってきたのは、
「2歳からPC
5歳で微積
7歳で英検3級満点合格
11歳で全国模試トップ3回
くらいしかないです。」
とのメールだった。ちなみに「2歳からPC」は、親に教わらずにタイピングしていたとか。凡人から見れば比類なき偉業の数々、それでいて「くらいしかないです。というのだから恐れ入る。Tehu君は、灘から米スタンフォード大に進み、いずれは起業したいという目標に向かっている。
発明し、韓国の国旗人
子供の頃から、一貫してずううーっと「天才」に憧れ続けている。まあ、みんなそうかも知れないけど。小学生の頃は、先生が紙に書かせる「尊敬する人」は、クラスメイトが「お父さん」とか「お母さん」とか書き込む中、僕はいつでも「手塚治虫」と書き込んでいたし、子供の頃でも僕はもう、「手塚治虫は『天才』である」と認識していた。と、思う。中学生になって読んだシャーロック・ホームズもの推理小説で、天才探偵、シャーロック・ホームズに憧れた。僕は学業成績劣悪な学生時代を送って来たから、あと、学問上の「天才」についてはよく知らなかった。SF好きでハイティーンになってSFに興味バリバリになったから、「SFの基礎知識」として「相対論」を簡単に解説した本を、高三の頃読んで、天才物理学� ��、アインシュタインを知るが、元々、僕の脳味噌がたいしたことないというか、あんまり上等じゃないので、学問上の天才に関しては、せいぜいアインシュタインを知った、くらいで終わった。その後も僕は「天才」に憧れ続け、成人してからは本格ミステリに嵌まったから、推理小説上の「天才探偵」たちに憧れ続ける。島田荘司の「御手洗潔」、そして比較的最近のところでは東野圭吾の「湯川学」。とにかく天才として生まれて天才として生きてみたかったなあ。天才の目からはこの世間はどう見えるんだろう? 一度でいいから「天才」の目で社会で過ごしてみたい。憧れるなあ、天才。人は自分に無いものを欲しがる。馬鹿は「天才」脳を欲しがる。
コロンビア、サウスカロライナは、年間にどのくらいの雨を得ない
小学校上級の頃、確か4年生時か5年生時かの転校生だったけど、T君というクラスメートの男の子が居たけど、いつも、その日の授業が全部終わり、帰りのホームルームも終わった後の僅かの時間、帰りの掃除の後だったのかも知れないけど、下校時の教室を出る前の僅かの時間で、その日出た宿題をさらさらとやって下校に着いていた。家はそんなに裕福でもなさそうで、放課後は多分、他の子供同様、元気いっぱい戸外で遊んでいたのだろう。でもいつでも、何の教科でも成績はクラスで一番だった。それでも、あの時のクラスメイトの子でも、全国規模でいえば、「頭が良い」クラスなんだろうなあ。「天才」とは、もっともっとずっと頭が、素晴らしく良いのだろう。あの当時は、僕から見て、そのクラスメイトの男の子が「� �才」に見えてたんだけど。何しろ、こっちはクラスでも後ろから数えて何番の劣等生だし、もう主要教科が5段階通信簿で「2」で母親に嫌と言うほど怒られてたし、小五か小六で出たローマ字は読めないは小学算数が解らないは、毎日毎日、宿題して来ないで授業中はボーッとしてるか教科書に落書きしてるかで、必ず一日1発か2発のかなり力入れたゲンコツを頭に喰らうか、教室の後ろや廊下に立たされていた。そのくらいの劣等生で、本音は正直、クラスの成績の良い子らが羨ましかった。クラスの優等生の仲間の輪に入りたかった。でも、実際はクラスの問題児・悪ガキの仲間で、時には授業をサボり、毎度毎度、何かやらかして毎日先生に怒られていた。あれから幾星霜、あの、僕の育った地方のごく狭い環境下では、出来の超良� �子、T君はどうなったのか? 家庭がそれ程裕福ではなくとも、それなりの良い大学には入って、社会のそれなりの良いクラス(階級)の良いポジションに着いたんではなかろうか。と思うんだけど。
「知能の良し悪しで社会の収入格差が決まる」とかいう記事をだいぶ前に読んだ記憶があるけど、そりゃあそうだよな。やっぱり基本学歴社会だし、有名優秀大学に行くには、勉強の量もだけど、やはり高い知能が必要だろう。いくら、年から年中、毎日毎日睡眠削って猛勉強したって、知能がなければ勉強した分を吸収できないし理解もできないだろう。無論、条件には良い家庭環境というのもあるけど。やはり先ず第一はある程度以上の知能が必要だろう。ある程度のレベルの知能で、裕福な家庭に育って、子供の教育にお金を掛けてもらえる、という条件。進学塾や私立の進学校。やっぱり相当なお金が要る。良い大学を出れば、大企業に入れたり、社会の良いポジションに着ける。高収入の見込めるポジション。でも、多分、� ��んの僅か居るずば抜けて高IQの、例えばIQが140以上もありそうな最早天才の域の子供は、借りに裕福な家庭環境でなくとも、自分で勉強して行くだけで、それなりの成果が上げられるのかも知れない。でも、ものすごい少数なんだろうけど。良いなあ、天才は。だいたい、東大に入るくらいの学生でIQ120くらいだ、という話を聞いたことがある。随分昔に、IQが147以上が「天才」と認定される、とかいう話を聞いたことがある。何処が認定するのか知らないけど。また、高いIQの人って、いわゆる頭の良い人って、自分の社会生活で何らかの問題が生じたときにそれを切り抜ける知恵が出るじゃないですか。知恵で問題を乗り越える力がある。学歴だけじゃなしにね。どうしたって、頭の悪い者は、もっと頭の良い者に使われ� �。極端な話、頭の悪い者は頭の良い者に搾取される。自分の前に問題が生じたとき、頭の悪い者は自分では成す術がなく、頭の良い人にお伺いを掛けに行かなければならない。結局、この世の中では、頭の良し悪しがものすごく社会生活を左右する。
知能をIQだけでいうと、ある世代の、例えば千人をピックアップして、たいていがIQ90から110くらいのところに居る訳で、90から下がるごとに110から上がるごとに数はだんだん少なくなって行く。人の大部分はIQ70くらいから120くらいに居る。ほんの僅か、千人ピックアップなら居ないかも知れないけど、100万人に一人は「天才」が居るかも知れない。IQ150以上とかの人が。IQ150以上なんて、100万人に一人も居ないかなあ。どうだろう(EQという考え方もありますが、便宜上ここでは扱いません。済みません)。そして、これが問題なのだ。今度はその逆。悲しいことに絶対に障害児は居る。千人居れば障害者は1人から2、3人くらいかは居る。これが問題だけど、もうどうしようもない問題だ。神様は不公平だ。僕がいつも� ��うのは、運命の神様は、せめて、スタートラインくらい平等にしてくれれば良かったのに、だ。
だいぶ前だけど、永六輔さんがTVで話していた、三波春夫さんのエピソードなんだけど、晩節の国民的歌手、三波春夫さんに作詞も含めて新しい歌を永六輔さんがプロデュースしていたらしい。これまでの三波春夫の浪曲ベースの楽曲でなく、歌謡曲調が強い新しい歌だったらしいのだが、やはり浪曲出身の国民的大歌手、三波春夫には現代風な楽曲の今風な歌い方は難しい。レコーディングで、いくらやっても永六輔の要望通りには歌えない。プロデューサーの希望通りには歌うことが出来ないでいる。三波春夫のレコーディングには三波さんの奥様が着いて来ていて、思い通りに勧められないプロデューサーの永六輔に対して、奥様が「申し訳ありません。何分にも三波春夫はもう歳(高齢)なもので」と弁解してペコペコと謝� ��続けている。そして、奥さんは三波春夫の元に行くと、「何をやってるの!あなたは『三波春夫』でしょ!ちゃんと歌ってみせなさいよ」と国民的大歌手・三波春夫をピシャリと鞭打ったそうだ。このシーンを見ていた永六輔さんは、「ああ、そうか。この奥さんが着いていてこその国民的歌手『三波春夫』なのか」と涙が出たそうである。
何が言いたいか、って要するに社会の「天才」も偉人も、その人、一人だけでは成さないのである。人は一人では生きては行けない。当たり前の話だけど、しょせん、どんな偉大な功績を残した人でも、その人一人だけでやってのけたことなんて、先ず無いのだ。必ずバックには人が居る。支えてくれる人、仲間。あるいは部下だったり伴侶だったり親友だったり弟子だったり師匠だったり家族だったり、その他の人だったり。「天才」にはメチャメチャ憧れるが、一人ぼっちの「天才」は、多分何も残せないだろうナ。と、思うけど。
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